こんにちは。岸本葉織です。
見るたびに心が整い、自分らしさを思い出せるようなアートを描いています。

私にとってスピリチュアルアートとは、自分の内側の感覚に耳を澄ませ、本質の声に従って描く作品です。
そうして生まれた作品は、ズレや違和感に気づき、内面を整え、自分らしさを思い出していく力を持つものだと感じています。
「寝る前になっても今日の反省が止まらない」
「何か正解を見つけないと不安で、スマホで検索し続けてしまう」……。
そんな「考えすぎる」ループに疲れていませんか?
実は、考えすぎることを無理に「やめよう」とするほど、思考の渦は強くなるという皮肉な仕組みがあります。
この記事では、脳内会議が止まらない本当の理由を紐解き、思考の操作ではなく「感覚に戻る」ことで静寂を取り戻す方法をお伝えします。
最後まで読み終える頃には、考えすぎる自分を責める気持ちが消え、もっと軽やかな「本来の自分」としての視点を取り戻せているはずです。
- 思考(エゴ)が止まらないメカニズムと「防衛反応」としての役割
- 「考えないようにする」ほど逆効果になる理由
- 思考と自分の「同一化」を解き、距離を置く方法
- 身体感覚や「100の位置」へ戻るための具体的なステップ
なぜ考えすぎてしまうのか?脳内会議が止まらない本当の理由

- 思考はあなたを傷つかせないための安全確認作業
- 不安な時ほど「答え」で安心しようとする脳の癖を知る
思考は「あなたを守ろうとする」防衛反応のひとつ
「どうしてこんなに考えてしまうんだろう」と自分を責めてしまうこともあるかもしれません。
しかし、思考(エゴ)の本質は「あなたの安全を守ること」です。
過去の失敗を分析し、未来のリスクを予測して対策を練る。
これらはすべて、あなたが傷つかないための防衛反応であり、真面目で責任感が強いからこそ起きる「安全確認作業」なのです。
考えすぎることは、あなたの敵ではなく、あなたを守ろうと必死に働いている「過保護な警備員」のようなものだと捉えてみてください。

昔の私は、考えすぎることを「リスクヘッジ」だと思い込んでいました。
最悪の事態を想定しておくことが、自分を守る唯一の方法だと信じていたんです。
不安やネガティブ思考が強い時に起きている心のメカニズム
不安が強い時、脳内では「答えを見つければ安心できる」という誤解が生じます。
そのため、延々と終わりのないシミュレーションを繰り返してしまうのです。
注意点
「ネガティブなことを考えてはいけない」と自分を否定すると、脳はその否定に反応して、さらにその対象(不安)にフォーカスしてしまいます。
もし、特定の不安な感情がトリガーとなって思考が止まらない場合は、こちらの記事も参考にしてみてください▼
私は幼少期から、ずっと考えすぎてばかりでした。
でも当時の私は、それを悪いことだとは思っていませんでした。
むしろ「ここまで考えるからこそ、何かあっても耐えられている」
「最悪の事態まで想定しておくことが、自分を守るためのリスクヘッジなんだ」と思い込んでいたのです。
何かあるたびに、「こうなったらどうしよう」「もしかしたら、もっとひどいことになるかもしれない」と、まだ起きてもいない未来の不安を、頭の中で何度も広げていました。
そのたびに胃や胸のあたりが苦しくなり、不安が押し寄せてきて、意識はいつも“今ここ”ではなく、まだ来てもいない未来をさまよっていました。
たとえば、仕事から帰る途中に「やり忘れたことが一つあったかもしれない」と思い出すと、そこから脳内会議が止まらなくなります。
「明日、誰かが見つけたらどうしよう」
「それで大きな問題になったらどうしよう」
「最悪の場合、私がクビになるかもしれない」
「それどころか、そのミスで会社が責任を負うことになって、会社がつぶれて、みんなが路頭に迷ってしまったら……」
普通に考えれば、そこまで飛躍する必要はないようなことでも、当時の私の頭の中では、一つの小さな不安から、どんどん大きなネガティブストーリーが展開されていました。
そして最後には、「全部私のせいだ」「みんなに責められる」「賠償金を払うことになったらどうしよう」「生活できなくなったらどうしよう」と、現実には起きていないことにまで意識を向け、ひとりで疲れ果てていたのです。
今振り返ると、本当に生きることそのものに疲れてしまうような思考の使い方をしていたと思います。
けれど当時は、それをやめるどころか、「ここまで考えておかないと、いざという時に動けない」と信じていました。
考えすぎて苦しくなっているのに、その考えすぎこそが自分を守ってくれていると思っていたのです。
思考を止めようとするほど止まらない、皮肉な心の仕組み

コントロールしようとする努力が「思考」に意識を固定させる
心理学には「皮肉的過程理論(シロクマ実験)」というものがあります。
「シロクマのことを考えないでください」と言われると、かえってシロクマが頭から離れなくなる現象です。
これと同様に、「考えすぎるのをやめたい」と強く願うほど、脳は「考えすぎている状態」を監視し続け、結果として思考に意識を強力に固定させてしまいます。
「止めよう」とするエネルギー自体が、思考を存続させる燃料になっているのです。
「考えれば答えが出る」という思い込みがループを生む
私たちは幼い頃から「よく考えなさい」と教育されてきました。
そのため、問題が起きた時に「考える=解決策」だと信じ込んでいます。
しかし、人生の重要な転機や心の平穏においては、思考(論理)だけでは導き出せない領域があります。
答えが出ない問いに対して思考で挑み続けることは、ガソリンのない車でアクセルを踏み続けるようなものです。

思考は、力ずくで止める方向では抜け出せないのだとつくづく思いました。
私はいつも、自分でも驚くほどひどくネガティブな考えに入り込んでしまうことがありました。
「もうこれ以上は考えたくない」
「いい加減、やめないと」
「これ以上考えたら、本当に体がもたない」
そう思うことも何度もありました。
実際、悩みすぎて夜眠れなくなったり、不安が大きくなるにつれて食事が喉を通らなくなったりすることもありました。
頭の中ではずっと考え続けているのに、体のほうはどんどん重くなっていく。
そんな状態が続くと、「もう考えるのをやめたい」と本気で思うようになります。
けれど、やめようと思って一度は考えを止めても、気づくとまた勝手に思考が再開しているのです。
「もういい、やめよう」
「いい加減にして」
「眠れないから、もう考えないで」
そうやって何とか思考を止めようとしても、全く止まりませんでした。
そして今度は、「思考が止まらない自分」への焦りや自己否定が重なっていきます。
「どうして私はこんなに考えてしまうんだろう」
「普通の人は、こんなに悩まないのに」
「また止められなかった」
そんなふうに、最初の悩みに加えて、“止められない自分を責める思考”まで追加され、頭の中はますます悩みでいっぱいになっていきました。
今振り返ると、私は思考を止めようとすることで、逆にその思考に強く意識を向けていたのだと思います。
「考えないようにしよう」とすればするほど、その対象をずっと見張っているような状態になる。だから余計に、思考が大きくなっていく。
そのことに気づいた時、私はようやく「思考を力で止めようとする方向では、抜け出せないのかもしれない」と感じるようになりました。
考えすぎる人が陥りやすい「答え探し」のループ

正解を探し続けるほど、自分の感覚がわからなくなる
「どうするのが正解か」「他人はどう思うか」と外側に答えを探し続けていると、自分自身の「今、どう感じているか」というセンサーが鈍くなっていきます。
思考優位の状態は、いわば「頭の中のバーチャルリアリティ」に住んでいる状態です。
そこにはデータや予測はありますが、今この瞬間の「体温」や「心地よさ」は存在しません。
外側の正解ではなく、内側の静けさに意識を向ける
考えすぎを終わらせる鍵は、新しい答えを見つけることではなく「答え探しそのものを手放す」ことにあります。
- 「今、答えを出さなくても大丈夫」と自分に許可を出す
- 「外側の正解」を一旦横に置き、内側の違和感や安心感に注目する
- 「わからない」という状態のまま、そこに留まってみる
私は何かに悩み始めると、どうしても「今すぐ答えを見つけたい」という衝動にかられていました。
ネットで検索したり、本を探したり、人に聞いてみたり、頭の中で何度もシミュレーションしたり。
「きっともっと調べれば、正しい答えが見つかるはず」
「よく考えれば、納得できる結論にたどり着けるはず」
そう思って、いつまでもその悩みを抱えたまま離せなくなっていました。
周りから「まだそれ考えてるの?」と言われるほど、同じことを何度も考え続けていたこともあります。
その時の私は、悩みを解決しようとしているつもりでした。
でも実際には、答えを探せば探すほど、その問題に意識を固定してしまい、余計に抜け出せなくなっていたのだと思います。
「これを解決しなければ安心できない」と思えば思うほど、心はどんどん狭くなっていく。
調べても、考えても、また別の不安が出てきて、結局また最初の場所に戻ってしまう。
本当は、いくら調べても、考えても、答えは出ないことだとわかっていたのだと思いますが、そこで考えるのをやめてしまったら大変なことになると思い込んでいました。
そんな自分を「私はしつこい性格だから仕方ない」と思っていましたが、本当は性格の問題ではなく、思考のループに深く入り込んでいただけだったのだと思います。
「思考」と「自分」が同一化していませんか?

思考に飲み込まれている状態を客観的に観察する
「考えすぎて苦しい」と感じる時、あなたは思考と100パーセント重なっています。
これを「同一化」と呼びます。まるで、激しい濁流の中に飲まれて、周りが見えなくなっているような状態です。
しかし、本来のあなたは「思考」そのものではなく、「思考が湧いていることに気づいている存在」です。
思考を消すのではなく「思考との距離」を置くという視点
大切なのは、思考を消すことではありません。
思考が流れているのを、川の岸辺から眺めるように「あ、今また不安なことを考えているな」と気づくだけでいいのです。
「私は不安だ」ではなく、「私は、不安という思考が湧いていることに気づいている」という表現に変えてみる。
これだけで、同一化が解け、心にわずかな隙間(スペース)が生まれます。

湧いてきた不安にしがみつかなくていいと知ったとき、ふっと肩の力が抜けたんです。
私が「思考は私そのものではない」と気づいたのは、並木良和さんのお話を聞くようになってからでした。
スピリチュアルな視点では、思考はエゴの働きだと捉えられます。
それまでは、頭の中に思考が流れてくるたびに、それを全部「自分の考え」だと思い込んでいました。
そして、ひとつ不安な思考が浮かぶと、まるで自分からその悩みを拾いにいくように、
「どうするの、これ!」
「ちゃんと考えなきゃ!」
と、その思考にしがみついていたのです。
でも、学びを深める中で、思考はただ流れてくるものなのだと知りました。
浮かんできた思考は、ずっとそこにあるわけではありません。
追いかけなければ、いずれ流れていくものです。
エゴが作り出した不安のストーリーを、私自身だと思い込まなくていい。
そう気づいた時、少し肩の力が抜けました。
思考(エゴ)も、決して悪者ではありません。
ただ、私たちを守ろうとして働いてきた役割があり、その働きが強くなりすぎると、不安や心配のストーリーを次々に作り出してしまうだけなのです。
だから大切なのは、思考を責めることではなく、「今、思考が動いているな」と気づいて、そこからそっと離れること。
思考を敵にせず、でも思考に飲み込まれない。
その距離感が、本来の自分へ戻るための大切な一歩になります。
思考優位から「感覚」へ戻るための具体的なステップ

頭の中の声から、体の感覚にエネルギーを移す
思考のループから抜けるための大切な感覚は、意識を「頭」から「体」へ戻すことです。
考えすぎている時、私たちのエネルギーは頭部に集中し、のぼせたような状態になっています。
感覚に戻るためのクイックワーク
- 足の裏が地面に触れている感覚をじっくり味わう
- 自分の呼吸(お腹の膨らみ、鼻を通る空気)にだけ集中する
- 周りにある「音」を、意味を介さずにただの「振動」として聴く
思考と感覚のバランスを整え、直感を受け取る準備
思考が静まると、ようやく「直感」や「インスピレーション」が入る余地が生まれます。
それは頭でひねり出した答えよりも、ずっとシンプルで、あなたにとってしっくりくるものです。
思考は私ではないと気づいてから、思考が湧いてきた時は、まず「あ、出てきた」と気づくところから始めました。
これだけでも、今までとはだいぶ違いました。
以前の私は、とことん悩み続けることが当たり前だったので、思考が出てくるとすぐにその中へ入り込み、あれこれ答えを探し始めていました。
でも、「あ、今思考が出ている」と気づくと、ほんの少しだけ思考との間に距離ができます。
そのうえで、どうしても頭の中が止まらない時は、呼吸に意識を戻したり、足の裏が床についている感覚を感じたり、目の前にあるものをただ見るようにしました。
窓の外の光、手に触れている物の感触、空気の温度、呼吸が胸やお腹に入っていく感覚。
そうした小さな感覚に意識を向けると、頭の中で大きくなっていた不安のストーリーが、少しずつ遠のいていくように感じました。
思考の中にいる時は、まだ起きてもいない未来に意識が飛んでいます。
でも、体の感覚に戻ると、意識は自然と「今ここ」に戻ってきます。
それでも思考が強い時は、以前別の記事でも書いたように、「キャンセル」と言い、その後必要に応じて「紫の炎」と言って、紫の炎にその思考を投げ込むイメージを使うこともありました。
これは並木良和さんが話されていた方法ですが、私にとっては思考を断ち切るきっかけになりました。
思考が湧いても、そこから先へどんどん広がらなくなっていったのです。
そして、自分が楽しいと感じることをしたり、心地よいものに意識を向けたりすることで、自分の周波数も少しずつ軽いものへ変わっていきます。
起きてもいない未来を考えて不安や恐怖に入り続けることは、自分にとって何もプラスになりません。
それどころか、その不安の周波数を使い続けることで、不安を感じる現実を映し出してしまうことにもつながります。
だからこそ、考え続けるのではなく、感覚に戻る。
呼吸、足裏、光、音、手の感触。
そうした小さな「今ここ」に戻ることが、思考の渦から抜け出す大きな助けになっていきました。
本来の自分へ戻る「100の位置」と「統合ワーク」

どっしりと落ち着いた俯瞰の視点「100の位置」に立つ
思考の渦から完全に抜け出し、本来の自分として存在できる場所。
それが「100の位置」と呼ばれる視点です。ここは、どんなに激しい感情や思考が湧いても、それらに影響されない「静寂の源泉」です。
ここに立つと、「考えすぎる自分」さえも愛おしく、客観的に眺められるようになります。
思考を手放し、内側の周波数を整える統合ワーク
さらに、湧き上がってきた「考えすぎてしまう重たいエネルギー」そのものを手放し、軽やかな波動へとシフトさせるのが「統合ワーク」です。
思考で解決しようとするのをやめ、そのエネルギーを宇宙に返すことで、あなたは本来のパワフルな自分へと戻っていきます。

100の位置に戻ることは、スクリーンに頭を突っ込んだ状態から映写室へ戻るような感覚です。
以前は何日も引きずっていた悩みが、今では数秒で切り替わるようになりました。
100の位置は、まさにスクリーンに頭を突っ込んでしまっている状態から、瞬時に抜け出すような感覚です。
それまで映画の中の登場人物として、出来事に巻き込まれて泣いたり怒ったり、不安になったりしていたのが、ふっと映写室へ戻るような感じ。
そこから見ると、目の前の出来事は「ただ映し出されているだけ」だとわかります。
現実は内面の投影であり、ただスクリーンに映っているもの。
その視点に戻ると、今までのように出来事の中へ入り込み、一喜一憂し続ける必要がなくなっていきました。
以前の私は、一度不安や悩みの渦に入ると、数時間どころか、何日も同じことを考え続けてしまうことがありました。
頭の中ではずっと同じ場面が再生され、胃のあたりが重くなったり、心臓が落ち着かなかったり、体にもかなり負担が出ていました。
でも、100の位置を意識するようになってからは、「あ、今スクリーンに頭を突っ込みそうになっている」と気づけるようになりました。
そして、そのたびに100の位置へ戻る。
それを繰り返していくうちに、以前なら何日も引きずっていたことが、数時間、数十分、時には数秒で切り替わるようになっていきました。
突っ込みそうになった時に感じていた不安や、胃や心臓にかかっていた負担も、100の位置に戻るとスッと薄れていくのを感じます。
出来事に飲み込まれない。
思考に連れていかれない。
ただ、今映っているものを見ている。
この視点に戻れるようになったことで、心の自由度は本当に大きく変わりました。
まとめ|考えすぎる自分を責めず、内側の静けさへ戻ろう

「考えすぎる」ことは、あなたがこれまで一生懸命に生きてきた証であり、自分を守ろうとしてきた愛すべき防衛反応です。
だから、今日からは「考えすぎるのをやめなきゃ」と自分を叩くのはおしまいにしましょう。
大切なのは、思考を止めることではなく、「あ、今考えているな」と気づき、そっと身体の感覚や内側の静けさへ戻ること。
その繰り返しが、思考に振り回される状態から、自分の内側に戻って生きる感覚へと導いてくれます。
- 思考(エゴ)はあなたを守るための「警備員」だと知る
- 止めようとする努力が、かえって思考を強める(逆説)
- 「思考」と「自分」の間にスペースを作る(客観視)
- エネルギーを頭から「体・感覚」へ降ろす
- 最後は「100の位置」から、静かな自分として存在することを選ぶ
考えすぎてしまう自分を、どうか責めないでください。
それだけあなたは、たくさんのことを感じ取り、真剣に向き合い、何とかしようとしてきたのだと思います。
けれど、もうすべてを頭の中で解決しようとしなくても大丈夫です。
思考が騒がしくなった時は、「また考えてしまった」と責めるのではなく、「あ、今思考に入っていたんだな」と気づいて、そっと自分の感覚へ戻ってみてください。
深く呼吸をする。
足の裏を感じる。
胸の中心に意識を戻す。
100の位置に戻る。
その小さな繰り返しが、あなたを少しずつ本来の静けさへ連れ戻してくれます。
考えすぎてしまう繊細なあなただからこそ、ただ頭を止めるのではなく、もっと深い場所にある安心感へ辿り着くことができます。
思考の声よりも、内側の静けさを選ぶ。
その一歩から、あなたはもう本来の自分へ戻り始めています。
専門機関へのご相談について
考えすぎてしまうことで日常生活に支障が出たり、心がひどくお辛い場合は、無理をせずカウンセリングや医療機関などの専門機関へ相談することも大切な選択肢のひとつです。















