岸本葉織のプロフィール

紫龍 水彩画

みなさんこんにちは!
スピリチュアルアーティスト岸本葉織です!

私は現在、
スピリチュアルアーティストとして、
チャネリングで絵を描きながら
良いパワーを絵に込め、
みなさんを幸せに導いたり、
手助けをする絵やメッセージを広める活動をしています


絵の関係の仕事をし始めてからは、
20年ちょっとになります。

ここでは、私がスピリチュアルアーティストとして
活動することになったいきさつなど、
私に関するお話しをしていきたいと思います。

複雑で、少々暗く嫌な感じのお話しもあるかもしれませんが、
全ての出来事が今の私の活動に繋がっていると
感じているので、省略しつつもさらっと書いていこうと思います!

東京で生まれたHSPな私

昭和、夏生まれの私は、東京で育ちました。

物心ついた頃には母が病みはじめていたせいもあり、
小さいころから人の顔色を伺ってばかりの子供でした。
私はHSPなので、些細なことまで気になり、
人の小さな変化を感じて、いちいち自分に取り込んでは
ネガティブに陥っているような子供でした。

だけどこの頃私は幼くして、
今も関りがあるスピリチュアルヒーラーのAさんと出会いました。

私が幼稚園の頃、突然の高熱であっという間に40℃超え、
意識は朦朧とし、頭もまっすぐに保てないほど・・・
母はそんな私を抱えてこのAさんのところへ急いで行きました。
相当前の出来事で朦朧としていたけれど、
この時のことはすごくはっきりした映像で記憶が残っています。

身体が弱かった兄が体調を崩す度に母がこのAさんのところに
兄を連れて行っていて、私もよく一緒についていっていたので、
Aさんのことは知っていました。

触れる事なく手を体の周りで動かしているだけですが、
あっという間に私の熱は下がり、意識もはっきりして、
第一声「おなかすいたーー!」でした。
最後にはヒーラーさんのお昼ご飯だったサンドイッチをもらって、
自分の足で軽々と歩いて帰りました。
「やっぱりすごい人なんだなー!」と、
この時強く思ったのを今でもはっきりと覚えています。

その後、
幼稚園の時に親が離婚して母が家を出た辺りから、
複雑な家庭環境の渦にのまれていきます

「あなたたち(私と兄)は、母親に捨てられたのよ。」
と、祖母に言われ、「仕方ないから私が育てる」
というようなことを言われてショックだったのを今でも覚えています。

この頃から兄も私も暗くなり、自分を出せなくなっていっていました。
出来る限り、祖母の言うことを聞き、
捨てられないようにと努力していました。

この頃は、絵というより「ぬり絵」をよくしていたのを覚えています。
今思えば、絵を描き始めるきっかけだったかなと思います。
私は外で遊ぶこともありましたが、
どちらかというと外で遊ぶよりも、
家でパズルや塗り絵などをして一人で黙々と遊ぶほうが好きだったと思います。

突然の海外移住

そんな私が小学生になって数年後、

突然の海外移住

親の仕事などではなく、ただ海外でのんびり暮らしたいと
祖母が言い出したようで、あっさり決まりました。
小学生の私にはなんの権限もなく、祖母、父、兄と海外へ移住。
(国名を書くと、内容的に良くない
思い込みが生まれる可能性もあるので国名は書かないでおきます)

突然放り込まれた現地の普通の学校。
英語も殆ど喋れず、言いたいことも言えない、伝わらない地獄の日々。
「子供はすぐに英語を覚えてしまう」
と言われたものの、そんな簡単なものではありませんでした。
毎日が苦痛で、自分の殻に閉じこもるようになっていきました。

この頃から私は毎日のように絵を描いていました。
それが唯一の私の楽しみという感じだったのです。

海外への移住と共に、父親の再婚があり、
再婚相手が気に入らなかった祖母は
私がその再婚相手と話したり仲良くすると激怒。
再婚相手を無視するようにしろとか、ご飯をまずいと言えだとか、
追い出すために協力をしろと強要してきました。
私はなるべく何もしない、無の状態を保とうとしましたが、
結果数年で父と離婚することに。
本当に苦痛な日々でした。

私の心はどんどん闇にのまれていきます。

私はこうして祖母にコントロールされる日々。
怒らせると本当に恐ろしく、怒らせないように
生きていくことしか考えられませんでした。

祖母は、私が友達と遊ぶ、電話する、どこかへ出かける、
自分で服などを買うなどに関しても怒ったり、
嫌味を言い続けたりと、私を檻に入れたがりました。
理想通りの「孫」でいてほしいのでしょう。
父も祖母に従い、口答えできません。

私はどんどん「自分」を無くしていき、
祖母が望む通りの子供を演じ続けて生きていっていました。
学校も車での送り迎え、
車なしではどこにもいけない環境というのもあり、
籠の中の鳥状態です。

これが虐待の一種であったことは大人になるまで知らず、
過保護なだけなのだと思っていました。

慣れない海外生活

そして学校でも辛い日々は続きます。

日本人嫌いの人が多かったせいもあったからか、
日本人というだけでいじめや嫌がらせを受ける日々。
何人か他に日本人の子と出会ったりもしましたが、
「それは日本人ならみんな通る道だよね」と、
みんなそれぞれに苦労している様子でした。

そんな学校生活でも、美術の時間は私の大好きな時間
高校で科目を選べるようになっても、
美術系の科目はしっかりと選んで学び続けました。

先生も私の絵の才能を認めてくれていて、
すばらしい!と大げさなぐらい褒めてくれました。
その先生はいつまでも私の絵を美術室に飾り続け、
恥ずかしい思いをしたこともあります。

学校では一通りのことはやりました。
油絵、アクリル、水彩、シルクスクリーン、デッサン、
立体、伝統的アート、銅板アートなどなど
その中でも私は水彩画に興味を持ちました

益々私は絵にハマっていきます。
家で描くのは殆どがイラスト風の絵でしたが、
学生の頃は漫画家にあこがれもあって、
マンガを描いては日本へ送り、投稿もしていました。

何年か続けたものの、奨励賞止まりで、
学校生活のリアルさが足りない、セリフが説明くさい、
とのコメントを何度も受け、
海外生活の私には日本の学校生活を描くマンガは合っていないと、
数年で漫画家の夢は諦めていました。

それでも、何か絵に関係することを仕事としたいという気持ちは変わらず、
その時描きたいと思うものをひたすら描いていました。

卒業後、美術の専門学校に行きたかったけれど、
近場にそういった学校などはなく、
祖母&父は私を檻に入れておきたい。

仕方なく私は近場で唯一みつけた
透明水彩を近くの専門学校まで通って習いに行っていました。

思えばこの頃からなんだか親の様子が変わっていっていました。

親の多額(億)の借金発覚

後半、ここの授業料の支払いが遅れたり、
出し渋ってるような???なんだかおかしいなと
感じることが何度もあったのです。

長いので省略箇条書きで。

親の借金(億超え)発覚
何故か返済期日よりだいぶ早くに返済しろとの催促を受ける
その為家を売ろうとするも、お金を借りていた会社にことごとく邪魔をされる
誰かが家を買わないように嫌がらせをされ続ける
裁判したがあっさり負けた(手回しされた)
ある日突然、家に10人ぐらい攻め込んできて、
どこかに隠れてしまった父親に変わり私がひどい罵声を浴び、
10分以内荷物をまとめて家を出ろと言われる
その後数日間、家族で車上生活
なんとかアパートに入る
相手が悪党すぎて、引っ越しの荷物を勝手に捨てられる
裁判をする準備をするも、つぶされる

簡単に書きましたが、この出来事は本当に恐ろしく、
今でも思い出すだけで恐怖です。
鳴り続ける電話、チャイム、家のドアを壊す音、攻め込んでくる人たち、
震えが止まらない状況でした。
父は追い出されるかもしれない状況であるということを私たちに知らせなかったので、
突然の出来事で本当に絶望しかなく、これが新たなトラウマとなりました

このようにこれでもかというほど、
次々と、トラブルが起こります。

こんな出来事の中、
祖母&父は、カジノにハマり、毎日のようにカジノへ
その間、怖くて家から出られなくなっていた私の元へは、
家賃の催促や、カードの未払いの催促などが押しかけ、
一人対応せざるを得ない私の心はどんどん病んでいくのです。
そして、家に押し入ってきた時の影響で、
この頃ドアのノックやチャイム、電話の音などに震えるようになっていました。

もう日本へ帰りたい
日本に帰れば絵の学校もいっぱいあるのに

私はこんな考えを抱いていながらも言えずにいました。

祖母&父はカジノへ行くことをまるで「仕事へ行く」のと同じだと考えていたようで、
「また行くの?」と私が聞けば、
「何よその言い方!あんたたちのために頑張っているんじゃない!
がんばってねぐらい言いなさいよ!」とブチ切れ
理不尽に怒られる日々。
そんな日々が何か月も続きました。

このままでは心が壊れてしまうと思った私は
「もう日本に帰りたい」
と、意を決して、ある日父にそう言いましたが、
父は
「日本に帰る金なんてもうない。5千円しか残ってない」
と言ったのです。

私は膝から崩れ落ち、絶望しました。

この人たちの元にいたら
私は
だめになってしまう・・・

一人で日本へ脱出

私は、唯一の手段を見つけ、
殆ど所持品を持たず、お金もないまま
一人日本へ逃げ出しました

ここにいるぐらいなら
日本でホームレスになるほうがまだマシだ・・・

そう決意して家を出ましたが、
飛行機の中で震えが止まらず、
不安で押しつぶされそうでした。
でも、これしか方法はないんだと自分に言い聞かせ、
なんとか自分を奮い立たせました。

殆ど檻の中で過ごした私が
突然一人日本にでてきたところで
そううまくやっていけるはずはなく…

本当にいろいろなことがあり、
それでもなんとか生きてきました。
たくさんの人に助けてもらいました。

日本に来てすぐ、某会社でグッズ用の似顔絵制作の
お仕事からはじまり、芸能人のグッズ用イラストなどを描いたり、
待受け画像制作や素材集の書籍、描き方系の本の執筆に参加させてもらったりで
本屋さんに並ぶ本に自分の絵や文字が!と感動もありました。
その後通販系の会社にてパソコンでの画像制作の仕事など
いろいろとやってきました。


でも会社にはなかなかなじめず、苦労しました。
まず私は人混みが大の苦手なので、通勤がとても苦痛だったのです。
いろいろなことが気になったり、悪いエネルギーを受けたり、
人の感情を受けてしまいやすい私は些細なことで体調が悪くなることもあったり、
笑顔の裏に隠されている真実を感じてしまったり、
どうしても苦痛に感じてしまうことが多かったです。
もともとHSPですが、エンパスな部分もあるようです。

そして日本に出てきて、母との交流もはじまりました。
そこで知らされた真実に愕然とします。
母は私たちを捨てて出ていったのではなく、
「お金も子供も渡さない!」と強く言われ、無理やり離婚させられ追い出されたと。
父はこの時も借金をしていて、
家にしょっちゅう取り立て屋がきていたため、
対応していた母は次第に鬱状態になっていったとか。
そして追い出され、苦労したそうです。
事情もわかり、母との交流は増えていきました。

(ちなみに父は、私が日本に来て数年後、
メールの詐欺にハマり、何千万もまた借金しては
海外に送るというバカなことを繰り返し、
詐欺だと言うこちらの忠告も無視して全く聞く耳持たずに
私や母にもお金を要求してきてどうにもならなくなっていたので
縁を切り、その後どうしているか不明です。)

転機

母は、私が幼少期に治療をしてくれた例のヒーラーAさんと
まだつながりがあると話してくれました。

そしてAさんには日本に帰ってからも
幾度となく助けてもらいました。
腎臓結石ができたとき、
膀胱炎になったとき、
喉に大きな魚の骨がささり、喋ることもできなくなったとき、
足を骨折したとき(骨折した数日後に家に来て治療してもらって、歩けるようになって医者や周囲の人の目を点にさせてしまいました(笑))
などなど
書いたらきりがないほどですが、
治してもらいまくっていました。
こうした出来事が、私がスピリチュアルへの
不信感や違和感などがなかった理由だと思います。

その後私が出したLINEスタンプがヒットして、
収入も爆発的に増え、
会社を辞めて絵に専念しました。
ファンの人たちにも支えられ、
絵を描いていてよかったなーとつくづく思いました。

思い返してみれば、
私の人生、ずーーっと続けている唯一の事は
「絵を描く」
ということです。
絵のジャンルや画風などは違うけれど、
それでも何らかの形でずっと絵を描いてきていたのです。

LINEスタンプのおかげで人生が変わったといっても過言ではないですが、
そんな日々を続けていたある日、ふと
「なんか違う・・・」
という気持ちが湧きあがってきました。

私が本当にやりたいこと
やるべきことって
他にあるんじゃないかな?

という、ちょっとモヤモヤし始めていたのです。

そして子供が生まれ
(結婚したくだりを入れ忘れました)

絵を描ける時間も少なくなってきていました。
そして子供優先、自分を犠牲にしがちな日々が続く中、
徐々に体調を崩していきました。

子供が頻繁に風邪をひくようになった頃、
その度に数時間かかる医者、看病、夜も眠れない日々、
そして食欲もなくなっていって、体重もピーク時より
10キロも落ちてきていたのに
私はしばらく自分の異変にも気付かずにいたのです。

キャパオーバーでの体調異変

パニック障害(の一種)の症状が強く出始めたのが
これから間もなくです。
特定の出来事によりパニックに陥るようになってしまっていました。

それは子供の「体調不良」です。
というより最初は「嘔吐恐怖症」で、
そういった場面でだけの症状だったのに、
徐々に範囲が広がり、子供が咳をするだけで
パニック症状(めまい、動悸、震え、抑えられない恐怖感、
あふれる不安、汗、腹痛、立っていられなくなる)が
襲ってくるようになってしまいました。

そして風邪の時だけだったこの症状も、
風邪をひいていない時、1対1でいるだけで
症状が出るようになってしまったのです。

幼少期から自分を犠牲にしてばかりだった、
今までの蓄積がここにきて一気に爆発したという感じです。
もうキャパオーバー
これ以上自分を押し殺していたら、壊れちゃうよ!ズレてるよ!という
メッセージだったと思います。

あちこちいろんなお医者さんへ行き、
心理士さんへも相談に行き、
カウンセラー、スピリチュアル系のカウンセラーや
認知行動療法などにも通ったり、
とにかく、出来る限りの対処をしましたが、
良くなりませんでした
薬も弱いのから強い薬まで飲み、
鬱でもないのに鬱の薬を飲んでみたりした時もありました。
でも効き目を感じることはありませんでした。

スピリチュアルカウンセラーや心理士さん、
お医者さん、いろんな方から
「原因が1つではない…複雑に重なり合って出ている症状ではないか」
「今まで自分を出せなかったことの現れでしょう」

などと言われました。

お医者さんに今までの出来事を話しても
「そんなふうに生きてきて、おかしくならないほうがおかしい」
とも言われました。

Aさんにももちろん治せないか聞きましたが、
こういった心の問題、しかも状況が複雑で、なかなか難しいとのこと。
それでもいろいろと軽減策は考えてくれたり、やってくれたりはしました。
それでもやはり日常生活が苦しく、耐え難いものとなっていきました。

なによりも、この病気はなかなか理解してもらえないことが一番辛いのです。
自分でも、それぐらいで何が怖いのか、恐怖なのかと、
何でもない時は思うのですが、いざその時になると
雷が落ちたように瞬時に脳に指令が行き、
コントロール不能の”生命の危機”という感覚に陥ってしまうのです。
たとえば車に乗っていた時にそうなれば、
車が走っていようともドアを開けて外に逃げたくなったり、
ベランダから飛び降りてでも・・・と、その場から
逃げられないならしんだほうがマシぐらいに思えてしまうこともあります。
私はもう、生きていることがもう無理だと心底思えるぐらいに辛い状況だったのです。

症状のレベルは人それぞれなので、みんながみんなこんなではないですが、
理解してもらえなさから人に言えずに苦しんでいる人は多くいると思います。
私もなかなか言えず、限界を感じて助けを求めた時も、
呆れられたり、怒られたりと、医者でさえもなかなか理解してくれませんでした。
そんな時に一番私を理解してくれたのは、赤の他人だったのです。
だから、もし理解してもらえなくて苦しんでいる人も、諦めないでください!

スピリチュアル世界への扉

それでもなんとか治せないかと、探し続けている時、
とあるスピリチュアルカウンセラーが

「ご自分でスピリチュアルを学んでみるのが良いのでは?」
と言ったのです。

その時は
「え?私が??無理でしょ」
と思いました。

だけど、全然治療法も見つからないし、
スピリチュアルに興味がないわけじゃない、
やれるもんならやってみたい。
いや、やるしかないんじゃないか?

そう思ったのです。

そうはっきりと自分の中で思ってから、
突然、扉が開いたかのように
スピリチュアルな世界の知識や情報が
どっと流れ込んできました。埋もれるほどに。
今まで全く知らなかった世界が目の前に広がった感じです。

その頃だったと思います。
「レイキ」が必要だと感じ、レイキを習得しに行きました。
その日はいろいろと順調で、
グラウンディングでは、地球の中心部のマグマの熱さまで感じ、
グラウンディングだけで暑くて汗だくになってしまうし、
何をやるにも研ぎ澄まされている感。

そして後半に目を閉じて意識を集中している時、
突然ガクンとなり、金龍がドン!と現れたのです。
あまりに突然に、飛び出すように現れた金龍に、
「ひゃぁ!」とびっくりして目を開け、先生を見ると
先生もなにごと?というような顔。
「な、なにか見えて…寝たみたいにガクンとなって!」
あたふたしている私に、先生は「大丈夫ですよ」となだめるばかり。

その時見えた金龍はなんというか3Dで、夢とか
幻とかそういう映像ではなく、目を閉じているのに
広がる異空間というような、説明できない感じでした。
でも映像がリアルで、鱗の感じとか、形とか、
私の想像の産物ではないというのは確かでした。
(金龍は私についてくれている龍さんです)

そんなことがありながらも無事にレイキ習得できました。

龍に導かれ・・・

それからしばらくして、ふと少し前の出来事を思い出しました。
前にAさんが、「この絵置いておくだけで良いことが起こるよ」
と言っていた、風景画みたいな絵画があったのです。

そういう絵があるのかーと当時はそう思っただけでしたが、
私にもそんな絵が描けないのかな?と突然思い出したのです。

そしてAさんに
「良いパワーが出る、持っている人を幸せにするような絵が描きたい
んだけど・・・どうやったら描けますか?」

と聞くと、
「そう簡単にはいかないけど、あなたは元からその素質があるみたいだよ」
と言われたのです。

え・・・
そうなの??
半信半疑だけど、
自分が描く絵で誰かが助けられたり、
幸せになれたり・・・
私みたいに苦しい人生を送ってきた人が救われたりしたら
私はすごくうれしいな・・・
誰かの役にたてたらうれしいな・・・

という気持ちが湧いてきました。
そして心がわくわくしました。
暖かい何かが心の中にひろがるような、
早くやってみたい!という焦りのような。

でもそんな絵描ける?
私絵画はあまり描いてこなかったな・・・
イラスト風でもいいかな??

そんなことを思い始めた時、
今まで全く気にもなってなかった「龍」が気になりはじめました。
子供の凧揚げのタコが真っ白だったので、なんとなく
いきなりマジックで描いた龍・・・
あれ?私って結構うまく龍描けてない?はじめてだし、
龍なんて描いたことないのに。

しかも、龍を描いているとなんだか楽しい
ストレスを感じない・・・
この感覚好きかも・・・

最初はこんな感じでした。

そしたら、突然龍雲を見たりするようになり、
龍とスピリチュアルを学ぶことを迷っていた時、
ふと見えた富士山の上に立派な龍雲が。

私に、前へ進め!その道でいい!と言われているように感じました。
その日はいろいろなシンクロニシティがあり、
流れるようにスピリチュアルの世界へと進んでいった感じです。

私は絵を描く時、
なかなか思うようにいかなかったり、
描くものによってストレスになることもありますが、
龍を描く時は本当にたのしく、
鱗を1枚1枚描いている時でも、楽しいーー!!という気持ちであふれていました。

私の使命とは・・・

そんなある日、
Aさんに別件でスマホで撮った写真をいくつか見せていました。

その見せた写真の中の背景に、私の絵が写っているものがあったのですが、
Aさんが突然「お!この絵すごいわ・・・すごく良いパワーでてる」
と言ったのです。

私は絵を見せるために写真を見せていたわけではなかったので、
突然の言葉に驚きました。
「え・・・この絵私が描いた絵ですけど・・・」
私は驚きながらしどろもどろ答えました。
「すごいね!どんどん描いたらいいよ!飾ってるだけで運気上がるわ」
と笑顔で言われました。
そして、
「逆にね、お客さんで具合が悪い人がいて、原因を探っていたら飾っていた絵画だったってこともあるんだよ。」と、Aさは話を続けました。
「その絵をよく視てみたら、描いた人がすごく性格が悪くて、お金を稼ぐことばっかり、人がどうなったって知らない!自分がよければいい!というような人が描いたもので、絵にその悪いエネルギーがこもっちゃってたんだよ。絵を捨てたらすっかり良くなった」とのことでした。

そのあともいろいろと話を聞いて、
私のどういった絵にパワーが入りやすいか、
どういう状況で描いたものが一番良いか、
良いパワーが入る絵とはどういったものかなど
いろいろ学ばせてもらい、大分わかるようになりました。

残念なのは、CG絵(PCで描いた絵)は、がんばっても
良いパワーがでるようにはならないようだということ。
でも逆に、AI画像が一瞬で生成できてしまうこの世の中で、
AIには作り出せないものを私は作り出せる。
私が存在しなければ生まれない作品が、
自分のこの手で生み出せるんだという喜びも感じました。

私は、絵を描くことだけは、ずっとずっと続けてきたこと。

そして、ジャンルも画風も違う中で、
必ず作品に入れてきていたもの
それは
「光」
です。

これに気付いたのはスピリチュアルを初めてからです。
この「光」もメッセージで、
私にも、私の作品にも必要なものなのです。

そして、まだこの頃は私が絵を描く時に
チャネリングをしている状態であるということも気づきませんでした。

そうして、絵を描きながらスピリチュアルも学ぶ日々。
簡単ではなくて、本当にいろいろと苦労もあり、でもそのたびに
龍さんだったり天使さんだったり、いろんな存在にも助けられ、歩んできました。

途中、本当に私は絵の道でいいのだろうか?と、
思い悩んだ時期もありました。
その時はスピリチュアルを学ぶ手助けをしてくれた人の
助言から、ハイヤーセルフにアクセスし、
私の使命を聞いたこともあります。

しっかりとした映像で見えたので、今でも
映画を見たかのようによく覚えています。

最初はなにかを配るような、撒くような仕草が見え、
その後、私の手に触れ、私の手が金色に光り出しました。
そして半透明の光る筆が見え、
そのあと、右腕がズンと重くなりました。
私のこの右腕で筆を握り、絵を描けと、
それを広めろと、そういう意味なのだと感じたのです。

目を開けた後も、右腕はしばらく重だるいまま。
伝わるように、わかるようにと念押しされている感じです。

でも、やっぱり絵でいいんだ、
私が好きな絵を描き続けていいんだ
と、
少しほっとした気もしました。

そして、カラーセラピーの資格も取得しました。
スピリチュアル方面以外に
色彩からも、目から脳へと癒し効果を絵にプラスすれば
さらに良い影響を与えられると思ったからです。

その後、いろいろなきっかけもあり、学んでいくうちに
自分が集中して絵を描いている時は
チャネリングしているような状態になっていると気づきました。
前は殆ど気づいていなかったので、
それに気づいた今は、絵からメッセージも受け取れるようになりました。
そのメッセージからもかなり多くの学びがあり、
絵を手にする人だけでなく、自分にもかなり成長をもたらしてくれます。

そして、しばらくして、自分の病気の原因やそれを治す方法も、
スピリチュアルを学んではっきりとしました。

簡単に言えば、

「自分軸」で生きればいい!

その為には、本来の自分に合わないものは
どんどん手放していけばいい。

殆どの体調不良の原因はこれ!なんです!
私は「他人軸」でずっと生きてきていたんです。

私のように、しつこく根深いものは、
そう簡単にはいきませんが、
繰り返していくことで、どんどんはがしていける、
例えるならば「キャベツ」のようなものです(笑)
ぺりぺりとはがして手放していけば、
いずれ中心部が見え、最後にそれも手放せます。
よく玉ねぎのようだとか言いますが、
玉ねぎって何枚もあるけど、割とすぐに芯が出ますよね。
なので私の場合はキャベツとします😅

今苦しんでいる方も、
夢を叶えたいと願う方も、
私が、
私の絵が、
少しでもお役に立てることが私の夢であり、
私が今まで経験してきた数々の試練も
無駄ではなかったんだと思えます。
いろいろと経験してきた分、
理解できる部分も多いと思います。

そしてある時強く感じたのは、
私はどうしても今世で目覚めたい!
絶対目覚めるんだ!と心に決め、
目覚めるためにあれこれ詰め込んで生まれてきたんだと。
今この時代に、この目的で生まれてきて、
その為の道だったのだと感じたのです。

もう、苦しんだり、苦労したり、苦労しなければ得られない
そんな時代は終わりです!

自分が本当にやりたいことをやって、
楽しく、素直に自分軸で生きていく、
そんな人が増えていきますように

まとめ

なんで私はこんなに波乱万丈で、
大変なことばかり起きるんだろうとずっと思ってきましたが、
そうでなければ、私はスピリチュアルの道へ行かなかったのだろうと思います。

自分を変えたい、人生を変えたい、
辛い、苦しい、
アセンションしたい、
スピリチュアルが気になる

少しでもそんな方々のお役に立てればと思います。