こんにちは。岸本葉織です。
心や体がそっと整うようなアートを描いています。

自分の活動を「スピリチュアルアート」と呼んでいますが、それは自分の内側の感覚に耳を澄ませ、本質の声に従って描くアートのことだと感じています。
木陰でひと息つくように、絵を通して少しだけ自分に戻る時間が生まれ、違和感やズレに気づき、本質を思い出すきっかけになれたらと思っています。
「最近、自分が何をしたいのか分からなくなった」
「毎日忙しいはずなのに、心にぽっかり穴が開いたような気がする……」
もしあなたが今、そんな「自分を見失っている状態」にいるのなら、それはあなたが弱いからでも、頑張りが足りないからでもありません。
むしろ、あなたがこれまで誰かのために、あるいは社会のために、一生懸命「自分を適応させてきた」という優しい証拠でもあります。
この記事では、自分を見失ってしまう原因を心理学とスピリチュアルの両面から紐解き、論理的な解決策を超えた「感覚を取り戻すプロセス」をお伝えします。
読み終える頃には、霧が晴れるように「あ、私はここにいたんだ」という安心感を感じていただけるはずです。
「自分を見失う」とは?心が空っぽに感じる感覚の正体

「自分を見失う」という言葉は、辞書的には自分の立場や考えが分からなくなることとされています。
しかし、実際にその渦中にいる人が感じているのは、もっと切実で、体温を伴わない「違和感」ではないでしょうか。
それはまるで、「自分の人生という車を、自分ではない誰かが運転している」ような感覚。
あるいは、自分の体が透明なフィルター越しに世界を見ているような、もどかしい距離感です。
私が自分を見失っていた時期は、まるで世界のどこにも、自分の居場所がないような感覚でした。
誰も自分をわかってくれない気がして、自分がここにいること自体が、どこか間違っているように感じていました。
狭くて、暗くて、息がしづらいような世界の中で、ただ時間だけが過ぎていくような感覚。
自分の存在に意味を感じることができず、「どうして私はここにいるんだろう」と、ぼんやりと問い続けていたこともありました。
細い道でクラクションを鳴らされたとき、「私が存在していてごめんなさい」と、本気で思ってしまうような感覚もありました。

あの頃の私は、自分の存在そのものが周囲に迷惑をかけているような、透明な孤独の中にいました。
なぜ自分を見失うのか?心理的な原因と現代特有の背景

「比較」や「感情の抑制」といった、自分を見失わせる具体的なトリガー(きっかけ)を整理します。
自分を見失う背景には、知らず知らずのうちに積み重なった「心の習慣」があります。
特に現代は、情報の波によって自分自身の声(内なる声)がかき消されやすい環境にあります。
- 他人の期待に応えすぎている: 「良い子」「できる人」「優しい母」という役割を演じ続けるうちに、素の自分の声が聞こえなくなります。
- SNSによる脳のオーバーヒート: 24時間、誰かのキラキラした日常と比較し続けることで、自分の「今の幸せ」を感じるセンサーが麻痺してしまいます。
- 「感情の蓋」の習慣化: 悲しみや怒りを「なかったこと」にして蓋を閉じ続けると、同時に喜びやワクワクを感じる力も弱まっていきます。
たとえば、誰かと話しているとき。
「そう思わない?」と聞かれて、本当はそう思っていないのに、気づけば「うん、そうだね」と頷いてしまう瞬間。
「これ美味しくないね」と言われたときも、自分は美味しいと感じていたはずなのに、その感覚をそのまま飲み込んでしまう。
その小さなズレを、何度も何度も重ねていくうちに、だんだんと「自分がどう感じていたのか」がわからなくなっていくことがあります。

本当の気持ちに蓋をして周りに合わせてしまう。その小さな積み重ねが、自分という輪郭を少しずつぼかしていくのですね。
【セルフチェック】体感覚から知る「自分を見失っている」サイン

思考ではなく、呼吸や体のこわばりといった「感覚」のチェックリストを通して、今の自分を客観的に見つめます。
頭では「大丈夫」と思っていても、体は正直にサインを出しています。
自分を取り戻す第一歩は、その小さな「体の声」に気づいてあげることです。
【セルフチェックリスト】以下の項目に、いくつ当てはまるでしょうか?
- 呼吸が浅い: 常に胸のあたりで呼吸をしていて、お腹まで深く吸い込めていない。
- 「快・不快」が選べない: レストランのメニューや服を選ぶとき、「何でもいいよ」と言いがち、または選ぶのに苦痛を感じる。
- 常に「何か」をしていないと不安: 予定が空くと落ち着かず、スマホで情報を詰め込んでしまう。
- 感動が薄い: 以前は好きだった景色や音楽を聴いても、心が動かなくなった。
アーティストとして人を見ていると、自分を見失っている方には、ある共通した「雰囲気」があります。
何かを話していても、その人の言葉の奥にある「本質」が、どこかぼやけていて、はっきりと感じ取れないことがあります。
視線も、ここを見ているようで、どこを見ているのか分からないような、少し遠くを漂っているような感覚。
体もどこかふわっとしていて、しっかりと地に足がついていないような、「ここにいる」という存在感が薄く感じられることもあります。
会話の中でも、「どちらでもいい」「なんでもいい」という言葉が増えたり、「どう思う?」と聞いても「わからない」と返ってくることが多くなります。
それは意志が弱いのではなく、自分の感覚とのつながりが一時的に薄くなっている状態。
だからこそ、外の世界ではなく、もう一度「内側の感覚」に戻っていくことが大切になってきます。
自分を責める必要はありません。「分からない」と言えるのは、心が一生懸命にあなたを守ろうとしている休息のサインでもあるのです。
感覚を取り戻すプロセス|「思考」から「体温」へ戻る対処法

「脳の洗濯機」を止め、五感を呼び覚ますことで、少しずつ「自分という輪郭」を取り戻していく具体的な過ごし方を提案します。
ここからは、ノウハウを詰め込むのではなく、少しずつ「自分の感覚」を迎えに行くプロセスを歩みましょう。
Step 1:「脳の洗濯機」を止める余白の時間
今のあなたの頭の中は、グルグルと回り続ける洗濯機のように、思考や不安が混ざり合っています。
まずは、コンセントを抜く時間が必要です。
- 何もしない5分: スマホを置き、ただ窓の外を眺めたり、お茶の湯気を眺めたりする。
- 情報の断食: 1日のうち数時間、言葉から離れる時間を作ります。
Step 2:五感を呼び覚まし、「快」を迎えに行く
自分を見失っているときは、大きな決断をしようとする必要はありません。
まずは「今、この瞬間の体感覚」を大切にします。
- 肌に触れるものの心地よさ: タオルの柔らかさ、お湯の温かさ、土の感触。
- 「美味しい」の一口: 栄養バランスよりも、今の自分が「あ、これ食べたい」と感じる一口を丁寧に味わう。
とてもシンプルですが、今すぐできる方法があります。
それは、「自分はどう感じている?」と一つひとつの行動に対して問いかけてみることです。
たとえば、お茶を一口飲んだとき。
「どう感じる?」と自分に聞いてみると、
「少し苦いけどおいしい」
「思ったより熱いな」
「もう少しぬるい方が好きかも」
そんな小さな感覚に気づくことができます。
お風呂に入ったときも同じです。
「温かい」
「体がゆるんでいく感じがする」
そして、体の一部分にも意識を向けてみてください。
肩に意識を向けると「少し重いかも」と感じたり、お腹に意識を向けると「なんとなく違和感がある」と気づいたり、手に意識を向けると「少し冷えている」と感じることもあります。
どれも正解・不正解はありません。
ただ「今、どう感じているか」に気づくこと。
それが、少しずつ自分の感覚を取り戻していくとても大切な第一歩になります。

お茶の熱さや肩の重さ。
そんな「小さな事実」に気づくことが、自分という居場所へ帰る一番の近道になります。
スピリチュアルな意味|自分を見失うのは「魂の衣替え」

今の苦しみが、実は新しいステージへ進むための大切な「前兆(好転反応)」であることを理解し、自分を許せるようになります。
スピリチュアルな視点で見れば、自分を見失うことは決して「後退」ではありません。
それは、今の自分(古い衣)があなたに合わなくなったという、魂からの「衣替え」のメッセージです。
古い自分を脱ぎ捨てる時期は、一時的に自分が誰だか分からず、真っ暗なトンネルの中にいるように感じます。
しかし、その「無」の状態こそが、あなたが本当に望む新しい形を創り出すための「余白」なのです。
「自分を見失っている」と感じている時点で、あなたはすでに、大切なことに気づき始めています。
本当に何も感じていないときは、「見失っていること」さえ分からないものだからです。
「どうしたらいいんだろう」と思えていることも、すでに一歩、内側へと向かっている証です。
だから今は、無理に答えを出そうとしなくて大丈夫です。
ただ少しだけ、自分に意識を向けてみること。
なんとなくでも、自分の感覚に触れてみること。
それだけで、あなたは少しずつ、本来の自分へと戻っていきます。
焦らなくて大丈夫です。
あなたのペースで、あなたの感覚で、ゆっくりと進んでいけば大丈夫です。

「分からない」と悩めるのは、内側で何かが新しく生まれようとしている証拠。
今のあなたは、ちゃんと進んでいますよ。
自分を見失った先にある転機|「本当にやりたいこと」へ

この経験を経て、ようやく見えてくる「あなたが本当に歩みたかった道」について考えます。
真っ暗な時期を抜けたとき、あなたの手元には、以前よりも鮮やかで、嘘のない「自分の感覚」が残っているはずです。
自分を見失うという経験は、あなたが「誰かの人生」を生きるのをやめるための強制終了だったのかもしれません。
もし「本当にやりたいことが分からない」と感じている方は、
こちらの記事も参考にしてみてください。
その先には、あなたが心の底から望む「本当にやりたいこと」が静かに待っています。
私自身、長い間、自分の感覚を無視して生きてきました。
幼い頃からずっと,自分よりも外側を優先していたため、最初は「自分の感覚を感じる」と言われても、それがどういうことなのかさえ分からなかったのです。
けれど、少しずつ自分に意識を向けるようになり、小さな「好き」や「心地よさ」に気づけるようになっていきました。
その中で、「どちらが正しいか」ではなく、「どちらが心地よいか」「どちらが少しでもワクワクするか」を基準に、ひとつひとつ選ぶようになっていきました。
そうして進んでいくうちに、自分の中から、ふっと湧き上がるような感覚を感じる瞬間が増えていきました。
それは、静かだけれど確かな、「これが私のやりたいことだ」と分かるような感覚でした。
今では、その感覚に触れたとき、体の内側から広がるような“振動”として感じることもあります。
そして私は思うのです。
あの、自分を見失っていた暗い時期があったからこそ、この感覚に出会えたのだと。
遠回りのように見えていた時間も、すべてが、今の自分へとつながる大切な道の一部だったのだと感じています。
FAQ:よくある質問
まとめ|余白の中に「本当のあなた」は隠れている

自分を見失う時間は、自分の外側に向いていた意識を、もう一度「自分の内側」へと戻していくための大切な時間です。
人生は、何かを正しく進めるものではなく、自分の感覚で描いていく「アート」のようなもの。
あなたの中にある感覚と答えを、どうか安心して、これからも大切に感じていってください。
自分を見失うという経験は、とても苦しいものです。
しかし、その霧の向こう側には、今までよりもずっと自由に、軽やかに呼吸するあなたがいます。
まずは今日、温かい飲み物を一口、ゆっくり味わうことから始めてみませんか?
その「あぁ、温かいな」という小さな感覚こそが、あなたをあなたへと連れ戻す、確かな道しるべになります。
すぐに何かを変えようとしなくて大丈夫です。
答えを探さなくても、あなたの中には、すでに感覚があります。
その感覚に、ほんの少し意識を向けること。
それだけで、少しずつ、あなたはあなた自身へと戻っていきます。
うまく描こうとしなくて大丈夫です。
ただ、今の自分の色を、そのまま置いていくだけでいいのです。
あなたの内側には、あなただけの感覚と、あなただけの答えがあります。
それを、どうか安心して、これからも少しずつ感じていってください。
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